北岳バットレス四尾根日記③ ― 2014/09/04 18:50
12時15分、山頂を発つ

12時50分、八本歯のコルまで下ると暑くなってきた
雪渓に向かって長い下りの階段が続き、10年前より歩き難く感じる。
いよいよ膝の踏ん張りが無くなりバテ始め、休憩が多くなってきた。

四尾根の稜線を見ながらルートを確認するが、取り付きが分からない。
ポリタンも良く分からないようで、二人であーでもないこーでもないと空談義。
四尾根上部から声がするので見上げると、まだ後続のパーティが居たらしく、マッチ箱の上に居た。
13時40分
dガリー取り付きの出合いに着く、ネットで何度も確認した筈なのに間違えたところ。学習しないのですわ。本来なら右岸から中間尾根に上がらなければならなかった。次回はdガリーから登って見たたいと思う。
少し下って4回目の出合い、もう忘れることはないでしょう。
コル前からお腹の具合が悪くなり、ここから二股の簡易トイレを目掛けて急坂を駆け下りることになってしまった。
後ろを歩いていたポリタンは、まだまだ元気があるじゃないと思っていたそう。実は必死だったんですよ。
14時40分
二股からのアップダウンが疲れた体に堪える。漸くテン場に戻り着く、今回も11時間の長い行動だった。
昨夜小屋番さんが、急病人がでたので、明日ヘリが飛来する場合テントのポールを強制的に外すという話しであった。b-ガリーに着いた時ヘリの音が聞こえたので、てっきりペシャンコになっていると思っていたが、テントは何も起きなかったようだ。
私の流儀でテント前に陣取り、早速宴会の開始。小屋でビールを仕入れ先ずは「かんぱ〜い」、毎度この一杯が全身に染み渡る。
例のワインを飲み干すつもりが、お互い疲れているのであまり飲めない、でもポリタンの行動食を消費するだけで宴会兼夕食になってしまった。
夕刻になり、ポリタンが盛んに気にしていた神戸労山チームの帰りを見届けたあたりから、雨粒が落ち始めた。急いで周辺に散乱していた荷物をテントに投げ入れ横になっていたら二人とも意識を失ったようだ。
夜半に目が覚め見渡すと辺りは既に暗闇で小屋の電気も消えている。そこそこ強い雨が降り続いておりテントが湿気始めた。
眠気が取れた二人は、残ってるワインで静かに宴会第2弾。
ボソボソ、コソコソ、シッツ、周囲が寝静まっている中での話しは気を遣う。
とうとう飲み干してしまった。その後また睡魔に襲われる。
深夜になって激しくなった雨に、テントが水漏れし始めた。
タオルで彼方此方拭いて凌ぐ、周囲は起き始めたようだが、我々は始発を諦め2便目にしたのでもう一眠りする。
5時前になり、テントの数が少なくなり、神戸労山チームも発つようでお別れして見送る。
相変わらず降り続く雨にうんざりするが仕方ない、雨の中の撤収は久しぶりだ。
人一倍段取りが悪いので、余裕を持って始めも1時間掛かってしまった。
7時発
水を含んだテントはポリタンが担ぐらしい。イヤハヤ彼女の步荷力に下を巻きます。
私も気合を入れて背負い出発。ほとんど重さが変わらない気がする。
前を行く集団を次々に追い越し、第一ベンチまで1時間掛からなかった。
そこからゆっくり歩いて8時15分バス停に到着。
客引きのタクシーの運転手としばらく話す。今年は芦安からの道が通行止めなので例年の半分くらいの登山者らしい。いろいろ話していると待ち時間も少なく感じた。
9時 広河原発
北沢峠で30分待ち、ポリタンはこの待ち時間が長く感じたようで、始発でも良かったかなと。
私「・・・お・そ・い」
11時
霧雨で視界が開かないままバスの中でウトウトして1時間で戸台に帰り着いた。
その後は仙流荘の温泉に入りすっきりし、ボリタンお勧めの店を巡り帰宅したら深夜になってしまいました。
--------------------------------------
今回の遠征は、雨続きで満足に練習出来ないまま、2回目の練習をしたのが出発の前日だった。
出発しても、テン場に行っても雨の連続、ほぼ無理だろうと思っていたが、天が味方してくれ登攀の時だけ止んでくれた。
帰りも雨、正に雨に振り回された遠征だった。
悲観的な私に対して、終始楽天的な言葉で私を励ましてくれたポリタンに感謝したい。
稜線は強い風が吹き、寒さを感じた。
分岐から八本歯のコルに降り始めると徐々に治まってきた。
連日の寝不足と疲労で注意力が散漫になりそうなのでゆっくり下る。
分岐から八本歯のコルに降り始めると徐々に治まってきた。
連日の寝不足と疲労で注意力が散漫になりそうなのでゆっくり下る。

12時50分、八本歯のコルまで下ると暑くなってきた
雪渓に向かって長い下りの階段が続き、10年前より歩き難く感じる。
いよいよ膝の踏ん張りが無くなりバテ始め、休憩が多くなってきた。


四尾根の稜線を見ながらルートを確認するが、取り付きが分からない。
ポリタンも良く分からないようで、二人であーでもないこーでもないと空談義。
四尾根上部から声がするので見上げると、まだ後続のパーティが居たらしく、マッチ箱の上に居た。
13時40分
dガリー取り付きの出合いに着く、ネットで何度も確認した筈なのに間違えたところ。学習しないのですわ。本来なら右岸から中間尾根に上がらなければならなかった。次回はdガリーから登って見たたいと思う。
少し下って4回目の出合い、もう忘れることはないでしょう。
コル前からお腹の具合が悪くなり、ここから二股の簡易トイレを目掛けて急坂を駆け下りることになってしまった。
後ろを歩いていたポリタンは、まだまだ元気があるじゃないと思っていたそう。実は必死だったんですよ。
14時40分
二股からのアップダウンが疲れた体に堪える。漸くテン場に戻り着く、今回も11時間の長い行動だった。
昨夜小屋番さんが、急病人がでたので、明日ヘリが飛来する場合テントのポールを強制的に外すという話しであった。b-ガリーに着いた時ヘリの音が聞こえたので、てっきりペシャンコになっていると思っていたが、テントは何も起きなかったようだ。
私の流儀でテント前に陣取り、早速宴会の開始。小屋でビールを仕入れ先ずは「かんぱ〜い」、毎度この一杯が全身に染み渡る。
例のワインを飲み干すつもりが、お互い疲れているのであまり飲めない、でもポリタンの行動食を消費するだけで宴会兼夕食になってしまった。
夕刻になり、ポリタンが盛んに気にしていた神戸労山チームの帰りを見届けたあたりから、雨粒が落ち始めた。急いで周辺に散乱していた荷物をテントに投げ入れ横になっていたら二人とも意識を失ったようだ。
夜半に目が覚め見渡すと辺りは既に暗闇で小屋の電気も消えている。そこそこ強い雨が降り続いておりテントが湿気始めた。
眠気が取れた二人は、残ってるワインで静かに宴会第2弾。
ボソボソ、コソコソ、シッツ、周囲が寝静まっている中での話しは気を遣う。
とうとう飲み干してしまった。その後また睡魔に襲われる。
深夜になって激しくなった雨に、テントが水漏れし始めた。
タオルで彼方此方拭いて凌ぐ、周囲は起き始めたようだが、我々は始発を諦め2便目にしたのでもう一眠りする。
5時前になり、テントの数が少なくなり、神戸労山チームも発つようでお別れして見送る。
相変わらず降り続く雨にうんざりするが仕方ない、雨の中の撤収は久しぶりだ。
人一倍段取りが悪いので、余裕を持って始めも1時間掛かってしまった。
7時発
水を含んだテントはポリタンが担ぐらしい。イヤハヤ彼女の步荷力に下を巻きます。
私も気合を入れて背負い出発。ほとんど重さが変わらない気がする。
前を行く集団を次々に追い越し、第一ベンチまで1時間掛からなかった。
そこからゆっくり歩いて8時15分バス停に到着。
客引きのタクシーの運転手としばらく話す。今年は芦安からの道が通行止めなので例年の半分くらいの登山者らしい。いろいろ話していると待ち時間も少なく感じた。
9時 広河原発
北沢峠で30分待ち、ポリタンはこの待ち時間が長く感じたようで、始発でも良かったかなと。
私「・・・お・そ・い」
11時
霧雨で視界が開かないままバスの中でウトウトして1時間で戸台に帰り着いた。
その後は仙流荘の温泉に入りすっきりし、ボリタンお勧めの店を巡り帰宅したら深夜になってしまいました。
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今回の遠征は、雨続きで満足に練習出来ないまま、2回目の練習をしたのが出発の前日だった。
出発しても、テン場に行っても雨の連続、ほぼ無理だろうと思っていたが、天が味方してくれ登攀の時だけ止んでくれた。
帰りも雨、正に雨に振り回された遠征だった。
悲観的な私に対して、終始楽天的な言葉で私を励ましてくれたポリタンに感謝したい。
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